自身の成長のために挑戦すべき

私はたくさんのことに挑戦するよう努力してきた。

けれど、その挑戦してきたことには偏りがあった。
それらの挑戦には明確な失敗がなく、他人の評価を伴わなかった。
これでは、「自身の成長のために挑戦すべき」を満たせているだろうか?

成長するのは、鍛えられた部分だけだ。
結果、私には能力の偏りが生まれたと感じている。


私の欠如している能力とは、いったい何なんだ?
その定義を探してみてもいいかも。


謎の癖

私の非常に奇妙な癖の1つに、他人とテレパシーを図ろうとするものがある。

もちろん、それが非科学的であり、何の根拠にも基づかないことはわかってる。
でもそれは重要ではない。これは私のメンタルを整えるためにあるもの。

頭の中で、特定の他人に感じて欲しい思考、情報、視覚と聴覚の刺激をイメージする。
その対象となる人は、すなわち今私がもっとも気にかけている人という指標になっている。


就活生のジレンマ

ひとつ就活への後悔を挙げるとしたら、
みんなと同時に、同じように動くべきだったな。
そうすれば、ペースを見失わず、崩れることもなかったよな。

皆が就活に熱中している間、私は何をしていた?
応用情報の対策をしていた。競技大会の練習をしていた。ただのプログラミングの勉強をしていた。
そのいずれも、たしかにいい成績と結果を残すことはできた。1
しかし、それは今やるべきだったか?
だから、私は変なんだ。
とはいえ、その期間にした努力と得られた成果に対して後悔するのも違うだろう。

結果として 実績のあるNNT2 のジレンマが生まれたんだ。
私には器用な立ち回りはできないと分かっていたのだから…

もっとポジティブシンキングしなければ、絶対に良い結果には辿り着けないものだ。
自分なりの最も心地よい解釈に曲げる方が、よりスムーズに物事が進む。
ただの自己暗示でも構わない。
しかし、現実逃避では意味がない。
どれだけ辛い展望でも、良い方向へ向かうように願わなければ。
私には、そうしないと心はうまく機能しない。


抽象的を好むのはなぜか

私が極めて抽象的であることを好むのは何故なのか?
ただ巨視的/Macro演繹的/Deductiveに見ることが好きだから?心地よいから?脳の負担が少ないから?
具体的に語ると、情報が増えて個人の特定が容易になるから?

Gemini、私はこの理由を明らかにしたい。
それを分析するために私に質問してくれないか?

Gemini

抽象的な思考は、君にとって「何を捨てる」行為で、「何を残す」行為なんだろう? 具体的な情報が多すぎると、何が「ノイズ」に感じる?

「過程を隠し、結果を伝える」全てを事細かに説明すると、回りくどくかえって理解しづらくなる。だからこそ、秀逸な短い要約のほうが優れているのだ。もちろん、時に具体的な情報は必要だ。その情報は必要になった時に取り出せばよい。抽象的な要約のいいところは、最初から具体的に話すよりそれを挟むことで、ずっと理解しやすくなるからだ。

「脳の負担が少ない」というのは、具体的にどんな種類の負担が減る感覚? 例えば、意思決定の複雑さ、情報の整理、あるいは感情的な負荷とか?

「メモリに優しい」上記のように、情報の総量が減れば、消費するメモリは減るものだ。情報が多すぎると頻繁にスワップが発生するだろう?それは負担が大きい。人間の脳もこのように考えていいんじゃないかな。

「個人の特定が容易になる」ことへの抵抗感は、表現の自由度や、アイデアそのものの普遍性を保ちたい気持ちとどう繋がってるんだろう?

「ただ恥ずかしい」なんだか言葉で説明するのがちょっと難しいな。今のそれこそが「個人の特定が容易になる」の真意でもある。なんだろう?頭の中に思い浮かんだことを何のフィルターもかけずに言葉にすると、思考の癖をそのまま見抜かれるような恐怖感と恥ずかしさがあるような気がする。でも正直、この問題は大した問題ではないと思っていて、自分でも気にしないようにしたいと思っている。

もし具体的な例を挙げるとしたら、それはどんな時に、どんな目的で使うことが多い? 逆に、抽象的な表現を選ぶのはどんな時?

具体的な例が必要なときは抽象的な概要で足りなかったとき。抽象的な概要は具体的な例に付属させるべきもの。プログラミングにおけるドキュメントは具体的な実装を隠しユーザーが必要なことだけに絞って書くものだ。優れたドキュメントは、ドキュメントを見るだけで事足りるものだ。(しかし、ドキュメントはバランスよい情報量が求められるね。内部実装は基本的に考慮しないが、それはそれとして、その関数の使用例(具体)は書いていてほしいよね。)

「巨視的/Macroに演繹的/Deductiveに見る」ことが心地よいのは、そこにどんな「発見」や「納得感」があるからだろう? 気になれるからだ。演繹的に捉えると、自身の得た経験が別の分野でも適用できるように、さまざまな分野でも共通の法則性を見出すことができる。そうすれば、その分野で初学者であってもスムーズに走り出すことができるし、楽しい。(これを演繹的と表現するのは、あまり適切ではない可能性があるかもね?)

抽象的な概要を学んでいる時が一番面白い。全体像が見えることで、全てを理解した

ついでに

目的の方向を取り違えないこともよい点だ。進むべき方向はどのように構成するべきだろう?私は、小さな矢印が集まり合って大きな矢印を形成するよりも、大きな矢印が小さな矢印の進むべき方向をサポートするほうが、秩序が保たれると思うんだ。(この話を政治には当てはめないで)

Geminiの分析

  • 効率的な情報伝達と理解の促進:

    • 詳細な過程を隠し、結果や要点を伝えることで、回りくどさを避け、かえって理解しやすくなると感じている。
    • 抽象的な要約は、具体的な情報の前に提示することで、全体像を掴みやすくする「導入」としての役割を重視している。
    • 必要な具体的な情報は、必要になった時に取り出せば良いという考えだね。
  • 脳の負担軽減(「メモリに優しい」):

    • 情報量が減ることで、脳が処理する負荷が軽減されると感じている。
    • 情報過多による「スワップ」のような状態を避け、よりスムーズな思考を可能にする。
  • 表現の自由度と普遍性の確保(「ただ恥ずかしい」):

    • 具体的な表現は、思考の癖や未完成な部分を露呈させ、「個人の特定が容易になる」ことへの抵抗感がある。
    • 抽象化は、アイデアをより普遍的なものにし、個人的なフィルターを薄める役割も果たしているようだ。
  • 学習の面白さと応用性:

    • 抽象的な概要を学ぶことで、全体像を把握し、「全てを理解した気になれる」という楽しさがある。
    • 巨視的・演繹的に物事を捉えることで、異なる分野間での共通の法則性を見出し、経験を横展開できる応用力を高めたいと考えている。これが新しい分野へのスムーズな参入を可能にし、学習を楽しくしている。
  • 秩序と方向性の維持:

    • 小さな要素がバラバラに進むよりも、大きな抽象的な方向性が全体を導くことで、秩序が保たれ、目的を見失いにくいと考えている。

この世界には理論で説明が出来ないが、解決できる問題がある。
概ね、これは人間の思考に関すること、あるいは人間関係に関することだ。

だから、時には諦めて。

Footnotes

  1. 資格は(危なげありきだけど)ちゃんと合格したし、競技では金賞!!!をとれた。

  2. 無い内定